10月4日藤原京跡で行われた「ムーンライトIN藤原京」に出席しました。
歌枕さんがメインエベントとして和歌劇「大津皇子」と万葉歌に出演されるからです。
「藤原宮跡」等の遺跡群とその周囲を取り巻く「大和三山」(畝傍山、香具山、耳成山)が世界遺産に登録されることをアピールして、橿原市や橿原商工会議所が主催して開かれた12回目です。
特に昨2007年に世界遺産の暫定リストに登録されたので、今年は記念すべきフェスティバルです。
畝傍山とキャンドルカップの一部
お天気にも恵まれ、観客は目算で3500人(椅子席2000、立ち見1500)と言う大規模なもので、広大な藤原京跡をフルに使い、大勢のボランティアや子供達に支えられ見事に運営されました。
大和八木駅と橿原神宮前駅からシャトルバスを運行し、大掛かりな仮設ステージの照明や音響も完備し、発電機や仮設トイレ等の裏方もしっかりしており、駅や途中の要所では法被を着たボランティアが案内し、地元商店による30軒程の屋台もあり、藤原京の時代を形どった仮設入場門や子供達が作った藤原京を象徴する1万個のキャンドル・カップやこの日のために栽培したコスモス畑等が一層ムードを盛り上げました。
うたまくらグループからは武田氏、曽和さん、松田さん、小澤さん、森さん、菅井さん親子等が来ていました。
「ムーンライトIN藤原京2008」の舞台と子供達のブラスバンド
17:00のオープニングは地元鴨公小学校の子供達によるブラスバンドで始まり、次いで橿原商工会議所会頭、橿原市長、橿原市議会議長、地元選出衆議院議員、このフェスティバルの運営委員長の商工会議所の青年部長の挨拶がありました。
この種の来賓挨拶は同じことの繰り返しで退屈なことが多いものですが、この日は5人とも特長のあるお話で立派な挨拶でした。
コンサートの第1部は僧侶関川氏による藤原京に因む「薩摩琵琶」の演奏と語りでした。
いよいよ待ちに待った歌枕さんの出番です。
ライトが消され、歌枕さんは「明日香風」(志貴皇子作)を歌いながら登場し、途中からスポットライトが当たりました。
歌枕さんからの「ムーンライトIN藤原京2008」へのお祝いの言葉の後、和歌劇「大津皇子」が始まります。
歌枕さんの和歌劇「大津皇子」
この和歌劇の概略ストーリーは次の通りです。
1300年余昔、壬申の乱に勝利した「天武天皇」は古い政治を改革するとともに、明日香から新しい都に遷都することを願い、その調査と計画を長子の大津皇子に命じます。
大津皇子は学問を好み、書を読み、武芸を好み、巧みに剣を操り、身分に関わらず有能な人を厚く遇したため、多くの人から信望を集め、次の皇位につくものと期待されていました。
大津皇子は方位星占術に傾倒し、新しい都として藤原京を選び、天皇に奏上しました。
一方皇后(大津皇子の母は既に死去)とその息子「草壁皇子」の一派は声望の高い大津皇子を憎んでおり、これは草壁皇子の恋人であった美しい采女「大名児」(おおなご)を愛したことにより憎しみは一層深まりました。
天武天皇は亡くなって、皇后は持統天皇(女帝)となり、大津皇子が伊勢に行っている隙に謀をめぐらして、無実の謀叛罪で大津皇子に死刑を宣告しました。
大津皇子の親友川島皇子も、謀議の席で自らの身を守るために死刑に賛成しました。
明日香に帰った大津皇子は捕らえられ、「辞世の歌」を残して24歳の若さで刑場の露と消えました。
数年後、大津皇子が丹精込めた藤原京は完成し、人々はこれを讃える「藤原京のうた」を歌いました。
歌枕さんは、ある時は歌で、ある時はナレーションでこのストーリーを歌い且つ説明し、次第に盛り上げていき、クライマックスの「辞世の歌」と「藤原京のうた」で結んで、この40分の和歌劇「大津皇子」は、3500人の聴衆に大きな感動を与えました。
ここでスポットライトは消え、歌枕さんは万葉歌の名曲「大和三山」(中大兄皇子作)を歌いました。
歌の途中で、畝傍山、香具山、耳成山から花火が打ち上げられ、ライトアップの光芒が放たれました。
実に見事な演出で、聴衆からは大きな拍手と掛け声がありました。
耳成山から発せられたライトと1万本キャンドルカップの一部
最後は「S.E.N.S」と言う男女二人組のライブでしたが、私にはこの音楽が全く理
解できず、シャトルバスの混雑も心配で、他の客も帰り始めたので、途中で退場しました。
歌枕さんは大きな感動を3500人の聴衆に与えました。
しかし橿原商工会議所が客に配ったパンフレットには、出演者のことはほんの僅かしか記載されていませんでした。
これでは折角の感動が暫くすれば忘れ去られます。
S.E.N.Sは入り口で当日の演奏曲リストと最近出したCDをPRするパンフレットを配っていました。
うたまくらも「写真」「歌枕直美の信条」「万葉歌や和歌劇の説明」「この日の大津皇子と万葉歌2曲の概略説明」「CDリスト」 「ホームページへのアクセス法」等を1枚のパンフレットにして配るべきであったと残念です。